鬼滅の刃と吉原遊郭(ネタバレ注意)
吾峠呼世晴先生の代表作
「鬼滅の刃」
週刊少年ジャンプで
2016年~2020年まで走り続けた物語は
2021年現在
累計発行部数1億5000万部を突破し
映画「無限列車編」は
20年近く続いた日本映画興行収入記録を塗り替え。
今現在もその記録を更新し続け
10月にはフジテレビにて続編となる
「遊郭編」が放送予定です。
炭治郎一行を待ち受ける新しい敵
上弦ノ陸「妓夫太郎」と「堕姫」
その舞台となった「吉原遊郭」を知り
いっそう楽しんで頂けたら幸いです。
ネタバレ注意
目次
炭次郎が訪れたのは大正12年より前説
本作では表記こそ無かった物の
言及から大正時代だと言うことが分かります。
実は吉原編で
さらに限定できるヒントがあります。
それは吉原大門です。
第71話に僅か1コマだけ描かれましたが
それだけで十分です。
大正時代の吉原大門
注目すべきは大門の形
2つの石柱にアーチ状のオブジェが繋いでいます。
火災が多かった江戸時代での教訓を活かし
石素材を採用したもので
当時の吉原の名物でしたが
大正12年に関東大震災が起きた際
その衝撃により壊れてしまいます。
恐らく崩落したか
その恐れがある程の損傷を受けたのでしょう。
防火性に優れていた物の
崩れてしまっては避難の妨げになります。
その背景もあり
以降、大門の柱は建てられても
アーチ状の形にはなりませんでした。
つまりアーチ状の大門があった
大正12年より以前に
炭治郎たちは吉原を訪れたことになります。
大正4年説(可能性低め)
実はもう1つ限定できる描写があります
それは花魁道中です。
本作では「ときと屋」の鯉夏花魁が歩いていましたね。
花魁道中は「白縫事件」の起きた
大正4年を最後に一度途絶えてしまいます。
次に復活したのは戦後の話になるので
その描写があった本作では大正4年以前になります。
しかし
- 当時は既に禿が居ないこと(後述)
- 当時の花魁道中は客を迎えに行く本来の目的は失っており。
集客誘致のために
仲ノ町通りをぐるっと周り
帰って来るだけの
パフォーマンスになっていたなど。
物語から大きく異なるため
この大正4年説は極めて低いです。
大正に禿はいなかった?
作中で炭治郎たちにヒントを
そして堕姫の恐ろしさを表現してくれた
幼い花魁のたまご「禿」ですが
実は大正時代にはいませんでした。
その理由は
芸娼妓解放令と
義務教育の普及化によるものです。
芸娼妓解放令
芸娼妓解放令は以前コチラで触れました。
簡単に言えば
「花魁は奴隷なので解放しろ」と言う法律が明治初期に可決しました。
以降も外国(主にイギリス)の人権団体と
その日本支部が発信し続け。
「花魁=奴隷」の風潮はすっかり世間に浸透しました。
大人の女性でさえ関わろうモノなら目の敵になります。
幼子ならと考えれば
想像は容易いかと思います。
世間の目を考えた結果
禿制度を辞めたのです。
世間から見れば良いことですが
幼い頃からノウハウを教える事が出来なくなった為。
生粋の花魁が誕生することが無くなった転機の時代とも言えます。
義務教育の普及化
江戸時代の教育は
寺子屋やお寺で無償(心遣い)
で運営しており。
吉原では各お店で基本的な読み書きを教えつつ
お店のルールや花魁の作法も合わせて育てていました。
明治初期のころに
義務教育の推進運動が始まったのですが
授業料(学費)が発生したため普及せず
無償化などサービスを改めた結果
大正4年には全国の約90%が学校に通いました。
当時の義務教育は小学校までと言われおり
さらに14歳までに修了させるのが普通で。
吉原で14歳と言えば
禿と言うよりも新造に近い歳で
実質、禿が誕生することはありませんでした。
聖地巡礼
ここでは原作の時点で登場した舞台の
モデルとなった場所と
それらしき場所を紹介します。
巡礼するに当たっての注意点
吉原に限らず
全国の史跡や遊里跡には
現在、
そこで暮らしている方
そこで働く方
そこに客人として招かれる方がいます。
彼らの生活の妨げになるような行為はやめましょう。
許可も無く写真を撮るのも御法度ですし。
ふらふら歩き回るのも不審者と同じです。
用件は短く済ませましょう。
吉原で歓迎されるコツ
そして出来れば
ご自身のお財布事情に合わせて
吉原で何かしらの出費をしてください。
吉原は昔から
「外の人(よそ者)」には冷たいですが
「中の人(馴染み・お客)」には優しいです。
喫茶店でも、ホテルでも
何度か通い
ひとたび馴染みになれば歓迎されます。
吉原のネットワークは広いようで狭いので
そこから広がるお付き合いもあります。
思いがけない情報を知れる機会なので
タダで回ろうとせず
自分も吉原で暮らしているつもりで
色々な交流をしてください。
客引きについて
吉原は日本有数の風俗街です。
今現在も約120~130のお店があります。
各お店の前にボーイさんが居て
お客様のお出迎えや警備を任されています。
そこで気になるのが客引き(ポン引き)ですが。
風営法により悪質な客引きは禁止されています。
吉原は昔から国の機関に睨まれ続けた伝統があるので
こう言ったルールはしっかり従います。
一度でも揉め事を起こせば
吉原全体にメスが入るので
よほど風俗店としてのマナーが足りないお店で無ければ
そう言った行為はありません。
あまりにもしつこければ
吉原大門の近くに交番がありますので
そこに駆け込みましょう。
客引きの注意事項
風営法では
「自分のお店の範囲より外では禁止」と言っているので。
例えばお店の前で声を掛けられても
それは合法的な客引きになります。
エステサロンや美容院の前でチラシを配る人を想像して頂ければと思います。
それで声を掛けられたら
「御免なさい」などお断りしましょう。
ボーイさんも1人の人間なので無視は辛いです。
例外の客引き(要注意)
例外として
「そのお店から独立して、自らを仕事として客引きを行うこと」
は対象外となります。
これが1番厄介です。
まずボーイさんの格好をしていません。
おじさんがすれ違い様に
いきなり「どう?」など聞いてきます。
ごく稀ですが居ることは事実です。
身の危険を感じたら
大門近くの交番へ駆け込んで下さい。
聖地巡礼4選
原作を見た段階では4つあります。
感想としては
もっとメジャーな所があるかと思いました。
これは個人的な見解ですが
作者の吾峠先生が
現在の吉原に配慮したようにさえ見えました。
と言うのも、
「引き(吉原全体)」の映像が殆どありません。
場所が特定され辛い仕様になっているので
そう言った気遣いの点も
見返してみると面白いです。
吉原大門
「第71話 遊郭潜入大作戦」(9巻)より
吉原の玄関口です。
日本堤通りから
ガソリンスタンドの隣の道を入ります。
吉原名物の「見返り柳」が目印です。
突然現れる
S字カーブ(衣紋坂~五十間坂)
の先にあります。
よく「唯一の出入り口」と言っていますが。
大正時代には
大門から真っ直ぐ続く「仲ノ町通り」の先が開通しており。
実質「2つの出入り口の1つ」でした。
ちなみに他の通り(五町通り)の先にも門があり
非常時の時だけ開く仕様です。
漫画と同じ写真を撮りたい場合
原作を見ても分かる通り
実際の大門は交番前辺りにありました。
右柱の下後ろの建物が交番になる感じです。
道路の真ん中
もしくは向かって左手の歩道から
交番を撮る角度になります。
道路の真ん中は非常に危険なので止めましょう。
また歩道でも通行人の妨げになるので気をつけて下さい。
羅生門河岸
「96話 何度生まれ変わっても(前編)」(11巻)より
堕姫(梅)の母親が生活・働いていた河岸であり。
妓夫太郎、梅が生まれた場所でもあります。
吉原でも最下層の遊女が働いていた場所です。
地図上では東側を南北に走る通りに当たります。
反対側が「西河岸」と呼ばれているので
「西じゃない方」と覚えていれば迷わないと思います。
原作とは違うように見られますが
これは大正時代から100年以上前の羅生門河岸です。
明治後期の吉原ではすでに
今のような町割りになっています。
同じように
昔とは少し町割りが違う場所がいくつかありますので
それは後日紹介します。
切り見世
「第77話 轟く」(9巻)より
「音柱」宇髄天元の嫁の1人雛鶴が
堕姫から逃れる為に毒を飲み逃げた先です。
最下級遊女が働く場所です。
こう聞くと前述の羅生門河岸と同じですが。
切り見世は店の規模を表す単位の1つであり
羅生門河岸は吉原の特定のエリアの名前です。
ちなみに見世の種類ですが大きい方から
(大見世~中見世~小見世~切り見世)
などあります。
なので最下層エリアの羅生門河岸には
切り見世がたくさんあるので。
切り見世=羅生門河岸は半分当たっています。
ただ他にも切り見世はあり
反対側の西河岸にもあれば。
吉原内の至る所にも置けました。
炭次郎達と堕姫が戦った場所
「第76話 それぞれの場所で」(9巻)より~
最初に2人が対峙したのは炭治郎が潜入した「ときと屋」前になります。
道の装飾からして
少なくとも仲ノ町通りではありません。
仲ノ町通りには季節ごとに植木を植樹していますから。
そして道の幅から見て
次に広い五町通り(江戸町1丁目、京町2丁目など)でもありません。
恐らくそれよりも幅が狭い通りですが
そうなると炭治郎と堕姫が刃を交えるほど
満足に立ち回れる道幅ではありません。
なので設定上は五町通りのどれか
ですが
道幅は実際よりも狭く描いています。
そして
- 五町通りの屋根上(炭治郎VS堕姫)
- 裏通り(禰豆子VS堕姫)
- となりの五町通り(宇髄VS妓夫太郎)
- 五町通りと店の屋根上(炭治郎たちVS妓夫太郎たち)
へと展開しました。
少なくとも2つの五町通りを跨いで戦ったこと。
そして仲ノ町通りでは全く戦っていない事が分かります。
執筆後記
堕姫については後日しっかりと紹介させて頂きます。
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