お歯黒溝の役割は「遊女脱走防止」にあらず?

2021年6月24日

ただの下水道が脱走防止とは...?

「年季」が目に見えない束縛ならば
「お歯黒溝」は目に見える束縛。
この2つの束縛が遊女の脳裏から「脱走」と言う選択肢を消し去るように仕向けます。

つまり苦界たらしめる理由の上位には必ず「お歯黒溝」がたびたび登場します。

1つ思うのですが
それほどに遊女を苦しめたわりには
「お歯黒溝」と言うネーミングセンス
やや苦界感が足りない気がしませんか?

あらためてお歯黒溝の役割を知った上で
本当に脱走防止が目的なのか判断してください。

お歯黒溝とは

吉原を囲う堀。

幅は約3.6メートル
(諸説アリ・9メートル説)

深さは多少ありますが溺れるほどでは無いです。

災害などで吉原から外に避難する際に
遊女が人の波に揉まれて落ちたことが度々あったのですが
溺れて出られなかったと言う記載がないので、人の背丈ほど高くは無いでしょう。

吉原の外周を囲う高い塀

苦界感を強めるためか
吉原を囲う塀もセットで紹介されますのでこちらにも触れます。

文字通り吉原の外周を囲う塀
お歯黒溝はその外側を流れています。

実はこちらには特に名前はありません。
この塀も含めて「お歯黒溝」と言うからですかね。

大阪にある飛田新地「嘆きの壁」くらい苦界感ある名前があっても良いと思うのですが、不思議な話です。

塀の高さ

高さはあっても建物2階分はないくらいです。
当時の写真、絵では遠目でしか測れず。
記述も無いのですが。

吉原にはいくつか関係者用の裏口があり。
外の世界へ出かける際、お客様の目に付かぬよう
裏口にある小さな跳ね橋を下ろし
そこから出入りする習慣があります。

なので
「壁の高さ=跳ね橋の尺=お歯黒溝」と言う構図が出来ます。

よって塀の高さもそのくらい(3.6メートル前後)だったと言えます。

構造から見るお歯黒溝の役割

造りは至って普通の塀ですが
塀の最上部、そして塀の外側忍返しが備えつけられていました。

その構造から
「内側から外への脱走防止」ではなく
「外から内への防衛」のために作られた見方のほうが正しいのです。

では「外側」にはどんな驚異があったのでしょうか?

野犬防止

新吉原が誕生したのは1657年

当時、江戸には無数の野生動物がいました。
犬、猫、シカは勿論
農業や物流で足を貸してくれた
歳負えば役立たずになり
大抵は野に放されます。

特に犬の繁殖は凄く

生類憐れみの令(1687年~1709年)のさなか

中野、四谷、大久保に設置された野生動物の保護地
通称「犬小屋」(1695年)には
数万単位の犬が収容され
毎日30~50匹が江戸中から連れ込まれたと言います。

それも「人に被害を与える比較的凶暴な犬」が該当するため
実際、江戸をかっ歩していた犬はもっといたでしょう。

それらを放置していたならどうなっていたでしょうか?

近年、それで多数の被害が出た国があります。
ルーマニアです。

約10年前
首都ブカレストでは64000匹もの野犬が確認され
犬による噛みつき事件が
年間16000件にのぼりました。

飼い犬に咬まれる程度ならかわいい物です。
ただ相手は野犬。
敵意を向け噛みつけば2度と離しませんし。
群れを成して行動する物もいます。
警察犬に追いかけられるとイメージして下さい。

事実、邦人が噛みつかれ出血多量で亡くなったり。
次に紹介する狂犬病で命を落とすケースがありました。

吉原のような食が豊富なところを
どう猛な野犬が狙わない訳はありません。

さらに近場には処刑場で有名な
小塚原刑場がありますから
人の血肉の味を知る獣もいるでしょう。

今も荒川を平気で渡る動物がいるくらいです。
堀を越え中へ侵入するなど朝飯前です。

そこで登り切れないほどの高い塀を構え
その侵入を防ぐことにしたと言えましょう。

狂犬病

現在、犬を飼われている方はご存じかと思われますが。
犬は誕生から数ヶ月
そして毎年ワクチンを打っています。

アデノウイルスや肝炎など
犬自身の抵抗力を高め守るものですが。

特筆すべきは狂犬病でしょう。

たまに未接種の犬に襲われ命を落としたと言うニュースがありますが。
ワクチンを義務づけしている日本だからこそその数字なんです。

ではそれを義務づけていない国はどうでしょうか?
宗教上の関係から殺生をしないインドは毎年20000人もの命が失われています。

過去の歴史を見る限り
日本での狂犬病は大分後になります

何処で何を口にしたか分からない不衛生な野生動物。
避けるに越したことはありません。

疫病防止

病は犬だけではありません。
人の歴史も常に病と共にありました。

麻疹水痘泡疹赤痢などの流行は
頻繁にありました。

病自体は驚異では無いのですが。
医学が発達していない時代
目に見えない流行り病の怖さ
それへの対策が無いことが
いかに危険な事は

未知のウイルスに対峙している現代で
十分に身に染みているかと思います。

関所は感染防止フィルター

ただこれに関して言えば
当時はさほど驚異ではありませんでした。

なぜなら江戸の周囲には箱根をはじめ難攻不落の関所があり、感染は免れました。

関所は日本各地にありましたが
ここはその中でも最も人の往来に目を光らせている場所です。
明らかに具合の悪い人間は絶対に通しません。

江戸への玄関口となる関所は疫病のフィルターになっていました。

なので病も江戸から始まるものでなければ感染も広まらなかったですし。
そのレベルの病は長くても数ヶ月ていどでした。

(事実、関所が役目を終えた明治以降
東京ももれなくインフルエンザなど凶悪なウイルスが襲来しました)

それでも感染病は感染病。
ひとたび感染してしまえば
たちまち店は機能しなくなります。

それならまだしも
常に人でごったがえす吉原で
密になればと考えると
何か対策を立てねばと思いませんか?

当時は出入り口を1つに搾り
四郎兵衛会所という
見張り番を置き目を光らせました。

まるで小さな関所があるかの如く
吉原の疫病蔓延防止のフィルターにもなっていました。

泥棒、罪人の侵入防止

今も昔も吉原で遊ぶには
ある程度の経済力がなくてはなりません。
ここで泥棒の身になって考えてみましょう。

吉原に来る客は必ず金目の物を持っている。
これを狙わない手はないですよね?

スリなら吉原の中でやれば良い。
派手な物盗りならその道中で襲えば良い。
吉原があるのは千束という田園地帯の中。
どこでも狙い撃ちに出来ます。

ただ当時は後払いシステムでした。
武士と言う肩書きが信頼関係にあったので
半年もしくは1年利用した分の会計を
あとで屋敷へ向かい請求するのです。

なので吉原へ遊ぶタイミングでは金は持ち合わせていません。

ならば狙う物は金品以外
衣服の追い剥ぎが1番やりやすいのではないでしょうか。

ターゲットは武士だけでは無い。

狙いは衣服に決まりました。
しかし、いくら外行きの格好をした武士といえど
その価値には限度があるでしょう。

ならばどうしますか?
もう1人いるじゃないですか。

数多の櫛や簪を髪に刺し
豪華絢爛な着物を纏い。
武士よりも力で圧倒できる女性が
それもたくさん。
そう、遊女です。

極端な話
遊女を誘拐し
着物を剥ぎ、金品を奪い
隅田川にでも流し溺れ死なせば良いのです。

武士なら配属元の大名が徹底的に犯人を追いかけ回すけれど。
遊女なら色恋沙汰で逃げだし身投げしたで済まされる可能性が高いです。

さて武士(客)と遊女(従業員)
あなたならどちらから奪いますか?

背丈以上の高い塀
遊女1人が脱走するならまだしも
遊女を抱えて逃げきれるほど
吉原は甘くありません。

100歩譲って脱走防止としても

100歩譲って脱走防止につくられたとしましょう。
ですがその役割は早くて江戸時代中期
遅くとも明治には失われています。

その理由が2つあります。

2階建て以上の建物ができたから

お歯黒溝の塀は高くても建物2階分と書きましたが。

吉原の外側。
最下層の遊女がいると言われる
「羅生門河岸」「西河岸」沿いにも2階建ての建物が建ったからです。
それだけ遊女が増えたからでしょうね。

つまり脱走したければその建物に入り
さらにお歯黒溝の塀よりも高い場所(屋根、窓)から飛び降りることになります。
実質難易度アップですね。

明治以降は脱走し放題?

江戸時代の吉原は防犯上の理由もあり
医者以外は必ず乗り物から降りて
大門を潜らなければいけません。

江戸に駐在している
各藩のお殿様だろうが駕籠から降りて貰います。

これは吉原を管理する幕府と決めた約束事なのですが。
幕府の解体と同時に
このルールは無くなりました。

明治には馬車が通れるようになります。
するとどうでしょう?
遊女を馬車に乗せて隠し
吉原の外へ連れて逃げ出し放題なのです。

楽器ケースに入れて人目を欺き
レバノンへ逃げたゴーンと同じですね。

当時はこうして白昼堂々と脱走していました。

出入り口が2つに

それまで吉原の出入り口は大門1つだけでした。
それ以外にもそれぞれの通りの突き当たりには門があったのですが
開門するときは災害の時
つまり非常口でした。

ですが明治に入り、もう1つの門が常時解放されます。
大門ら仲ノ町通りを真っ直ぐ進んだ先。
現在、吉原神社がある場所
つまり吉原は直線に道が開けた訳ですね。

しかもそこは新吉原取締所。
つまり警察があった訳で
なにかあればまず駆け込む様に出来たのです。
わざわざお歯黒溝を越え助けを請う手間がなくなったのです。

まとめ

お歯黒溝が「遊女脱走防止」ならなぜ塀の内側に罠を仕掛けなかったのでしょう?

仮にそれで彼女たちが死んでしまったら
返してもらう筈の借金はどうなるのですか?

吉原にとって遊女は稼ぎ頭です。
つまり財産でありです。
その宝が傷つけられるのだけは絶対にあってはいけません。

確かにお歯黒溝は檻です。
ですが遊女を外敵から守るための檻なのです。

執筆後記

吉原公園にある「お歯黒溝の石垣」
あれが全てでは無いと思うんですよね。
たぶん地中にも在るんじゃないかと思う今日この頃。

いつか水道局にお願いして
マンホールの中を知りたいけど
如何せん今の吉原の下水。
勇気いるなあ(笑)

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吉原

Posted by 時雨宗晴