堕姫が生きた吉原
鬼滅の刃と吉原遊郭についてはコチラ
遊郭編で炭治郎たちと対峙する鬼
旧上弦の陸の1人
堕姫(本名・梅、白梅)
兄・妓夫太郎との連携で炭治郎一行を苦しめました。
本作では主に
花魁に化け吉原の諜報役にまわり。
人間(花魁)の捕食と「柱」の殺害。
それによる鬼殺隊の戦力低下を遂行していました。
特筆すべき所は
鬼の中で唯一「仲間(兄妹)」と呼べる者がおり。
最も炭治郎たちに境遇が近く
作中の戦力差を見ても
最も炭治郎たちを追い詰めた鬼だと
個人的に思います。
その正体は吉原生まれ、吉原育ち
そして吉原で亡くなった花魁です。
その生い立ちについて紹介します。
目次
堕姫について分かっていること
1.善逸(善子)が潜入した京極屋の花魁
2.花魁としての芸名は「蕨姫」
3.京極屋の女将さんが子供の頃に聞いた親しい茶屋のお婆さんの話によると
子供のときと中年のときに見た花魁と同一人物
(癖が同じ・姫を好んで使う)
4.母は羅生門河岸の花魁
梅毒を患っており
そこから「梅(白梅)」と名付けられる。
5.13歳の頃に客の目玉を簪で突いて
その報復として生きたまま焼かれる。
6.死ぬ間際に
当時の上弦の陸・童磨(現上弦の弐)に
兄(妓夫太郎)と共に血を貰い受け鬼になる。
7.以降、歳を取らずに花魁に化け吉原に留まり
炭治郎達が訪れるまでの間
鬼殺隊の柱を7人殺める。
(妓夫太郎は15人)
8.10年ごとに別の花魁に化けては
店を変え転々と忍ぶ
行く先々ではナンバーワンの花魁になる。
(鬼殺隊見聞録より)
堕姫のモデルは高尾太夫!?
堕姫は好んで自身の芸名に「姫」と名付けます。
おそらく個人の意志でやったモノですが
これは花魁の最上位職の
太夫の襲名に近いものがあります。
有名なのは高尾太夫ですが
全盛期の大見世(高級店)には
必ず太夫がいました。
それぞれ「〇代目〇〇太夫」と呼ばれ
お店で最も秀でた花魁に代々襲名させていました。
しかし鬼(堕姫)は歳を取らないので
必ず店から怪しまれます。
また茶屋のお婆さんの話と
鬼殺隊見聞録より
10年ペースで何度も姿を変えては
別のお店へ渡ります。
本作と同じく
自分のお店の関係者を殺めて(食べては)は姿を変え
(建前は自身も足抜けしたとして)
次の店へ転々としていたのでしょう。
その時にかつての名前を名乗っていれば
他店であっても怪しまれるので
改名するのは当然の流れですが。
「〇姫」だけを残す事によって
自分の世界の中で襲名をし
花魁としての体制だけは保っていたのではないでしょうか。
史実でもタイミングがあっている
遊女最高位の太夫職ですが
その需要が武士から町民へ変わった時期
およそ1780年頃に途絶えています。
(詳しくはコチラ)
当時、彼女が最後の太夫になっていれば
単純計算で
1780年+120年
(お婆さんの年齢80+女将さんの年齢40)
で1900年(明治後期)になります。
若く見積もってこの数字ですので
もう少し(+5歳~10歳)かさ増しすれば
大正時代(1913年~1926年)
になっても辻褄は合います。
江戸時代に途絶えた花魁の最上級職「太夫」が
鬼の血を吸い時代を超え生きていた。
と言う見方が出来ます。
堕姫が鬼になった年
前回のお話を踏まえて
炭治郎たちが訪れたのが
~大正12年の間と見積もって。
(~1923年)
京極屋の女将さんの幼少期(約40~60年前)
そこから茶屋のお婆さん(推定80~100年前)
つまり1763年~1803年から
堕姫は花魁として存在していました。
鬼~花魁までの空白期間
そして忘れてはならないのが
茶屋のお婆さんが子供のころには
堕姫はすでに花魁道中をやっていました。
そして堕姫(梅)は
13歳の頃に焼かれ血を浴び鬼になりました。
作中でも言及していた通り
花魁道中は誰でも出来る訳では無く
そのお店のナンバーワンになり
店の顔を代表して行えるモノです。
仮に復活し姿形を変えても
一朝一夕で花魁道中を務めるほど
この世界は甘くありません。
少なくとも初代堕姫には
花魁になるノウハウを養う期間があった筈です。
梅が襲われた歳からやりなおしたなら
花魁デビューまで約4、5年。
花魁デビュー後の実戦で数年の
空白の期間があっても不思議ではありません。
よって堕姫が鬼になったのは
1758年~1798年となります。
梅の誕生年は?
そこからさらに13年前
1745年~1785年の間に
梅はこの世に生まれた事になります。
ただこれは「若くて」の話です。
茶屋の女将さんが幼少の頃には
すでに鬼になって100年の歳月が流れていた可能性もあります。
それでも羅生門河岸があったのは
新吉原以降の話なので
1657年~
だと言うことに変わりはありません。
余談 堕姫は売られたのか?年季は?
吉原で生まれた子供はゴマンと居ます。
不意に妊娠してしまい
堕ろすにせよ生むにせよ
当時は肉体的な負担があるからです。
堕姫(梅)のように
相当の美貌の持ち主なら生ませて
お寺か上客の馴染みに預け
(あるいは売り)
育てて貰ったあとに
買い戻して花魁にするパターンもあります。
堕姫の場合はその美貌が評判となり
お店にスカウトされたのが濃厚ですが
その際には通常は自身を質に入れる形で
お金を貰う(借金する)のが通例ですが
彼女はどうだったのでしょうか?
もしお金を貰ったのなら
そのお金は間違いなく
兄・妓夫太郎へ送られたでしょう。
白い髪を嫌った母親が剃刀で剃ろうとしたところを
妓夫太郎に救われている恩があります。
(鬼殺隊見聞録より)
ただそのお金が発生するにせよ
しないにせよ
当時の堕姫はまだ自身で働けず
日々、衣食住の費用が掛かっていたので
年季は膨れあがっている最中でした。
もしお金を貰っていなかった場合でも
吉原の外から流れて花魁になった娘よりも
やや早く年季が早まる程度でしょう。
しかし花魁デビュー前に焼かれたので
それらのお金は堕姫(梅)
踏み倒された形となります。
それでも殺すと言うことは
堕姫(梅)が生み出す利益よりも
妓夫太郎による損失の方が上回ったのが
お店としての心情だったのではないでしょうか。
堕姫の生きた吉原
もし梅が1745年に生まれ。
堕姫が1758年から潜伏していたら
どんな吉原を見てきたのでしょうか?
梅の母親の時代(~1745年)
時代は吉宗~家重のころ
「享保の大飢饉」(1731年~1732年)を筆頭に
日本各地では毎年のように
地震、火災、疫病が起こります。
当時は災害が起きれば
その修復にかかる費用は
その藩が負担するので。
それまで江戸で自由に遊べた武士も
節約せざるを得ない状況になり
彼らが1番の上客だった吉原も人手が減り
メインの客層も武士から庶民へ転換する時期でした。
太夫職が減っていったのもこの頃です。
また1730年に各宿場で働く人数を制限する御触れを出しています。
これはそれぞれの宿場にいた遊女「飯盛女」を規制する狙いがありました。
こう言った動きが江戸時代に何度もありますが
その度に遊女は吉原の店が再雇用します。
もともと居た花魁と
余所から入ってくる遊女がしのぎを削っていた時であり。
客側(武士)も財布の紐がキツく締まっていた時でもあります。
天と地の格差が1番広かった時期でした。
仮に梅の母親がどれほど美しくても
病気1つで最前線から転落するのも
この時代背景ならではです。
梅の生きた時代(1745年~1758年)
描写から過酷とも見られますが
吉原では良いこともありました。
吉原の中央にある仲ノ町通り
ここは季節ごとに植物が植え替えられ
吉原を代表する名物になりますが。
その始まりが1748年春
美しい桜が植樹されました。
タダで見れるこの桜並木を見に
江戸中の庶民が訪れました。
家で嫌なことがあっても
2人で桜を見上げられる
穏やかな時間がありました。
堕姫の生きた時代(1759年~)
「天明の飢饉」が起こるまでの約20年間
穏やかな時代を迎えます。
吉原からは太夫が徐々に消え
上客も庶民へと変わります。
1782年の浅間山噴火をキッカケに
天明の大飢饉が始まり
各地で不作、米の高騰、打ち壊しと
不安定な状況が続きます。
吉原でも客と店を繋ぐ「引き手茶屋」の手数料が不当に高騰され。
客足を遠のかせる一因になっていました。
堕姫の生きた時代(1792年~)
茶屋のお婆さんが幼少のころに
始めて堕姫を見た時代です。
「寛政の改革」以降は
日本史の舞台は主に蝦夷になります。
江戸はと言うと比較的穏やかで
かつ幕末へと続く不安定な空気のせいもあり
時代劇で扱われる時代はたいていこの時期です。
堕姫の生きた時代(幕末)
茶屋のお婆さんが中年のころです。
ペリーが来航する年(1853年)に小田原が
その翌年に安政東海地震が起きました。
江戸でも1855年に地震が起き、火災の2次災害により
吉原の各店舗は江戸の各地にある仮宅と言う場所で臨時営業します。
復興までの数年間
吉原には遊女がいなくなり
地上は屈強な大工だけになるので
陽の当たらない部屋がなくなった堕姫は
吉原の地下に冬眠していたのでしょうか?
堕姫の生きた時代(明治)
女将さんが茶屋のお婆さんから
堕姫についての話を聞くころです。
1872年の芸娼妓解放令で
「花魁=奴隷」風潮が溢れた一方。
上野公園が開園したり
吉原博覧会が開かれたりと
景気の良い出来事もありました。
ちなみに吉原神社が建てられたのは
この時期(1872年)で
明治44年(1911年)には
警視庁病院が吉原に設置されました
(今の区立台東病院の前身)
堕姫の生きた時代(大正)
堕姫が蕨姫に化けて京極屋で働きます。
1914年に
上野公園で大正博覧会が行われ
吉原もその恩恵を受け活気が溢れました。
その勢いそのままに
花魁道中の復活をと言ったところ
許可が下りたのですが
白縫事件により花魁道中は再び禁止になり。
「花魁=奴隷」の風潮が加熱しました。
余談 あのマンガとの繋がりも
鬼滅の刃と同じ少年ジャンプで連載された
るろうに剣心
明治の要人を殺め、国家転覆を計った
志々雄真実の側近の1人
「駒形由美」
彼女は吉原で花魁をしていました。
しかも当時の政府の要人相手にしていたので
立場としては吉原でもトップクラスの花魁です。
つまり堕姫と同格でありライバルです。
もし「鬼滅」の世界線に存在していたなら
本作の鯉夏花魁のように捕獲されていたはずです。
しかし当時は
例の「マリア=ルーズ号事件」にて
政府要人から直接「花魁=家畜」と言われ
傷心あるいは国に対する憎しみなど
その容姿とは裏腹に歪んだ感情が溢れていた時期です。
もしお互いを認識していたなら。
何かに対して憎しみを抱く者同士
理解し合えた世界線もあったのでは無いかと勝手ながら思います。
まとめ
妓夫太郎の言う通り
梅は環境さえ違えば幾らでも変われた娘です。
実際、初代堕姫は鬼の血で病にはならなかったメリットがあるにしても。
花魁道中ができるまで成長したのは
他でもない彼女の努力の成果です。
2代目以降はノウハウを覚えていますから
簡単にトップになれます。
しかし元々は焼かれて全く喋れず。
本人の意志で血を浴びた訳では無い梅が。
鬼になってなお
苦労をしてまで花魁になったのは
他でもない妓夫太郎のためでは無いでしょうか。
梅には妓夫太郎がすべてであり。
その道がどこへ続いても
一緒なら後悔はしなかったことに変わりはありません。
執筆後記
妓梅てぇてぇ
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