「年季公奉」=「悪」か?
目次
吉原を苦界たらしめる理由の第1位
そう言っても過言では無いでしょう。
どの本にも
「遊女の一生」と題して
7歳で親に売られ
17歳で水揚げ(初体験)
27歳で年季明け
と書かれ
枝分かれするように
「身請け」
「死亡」と書かれます。
女性として10年
特に現代で言えば高校生~社会人の
その若さで何処へでも出かけ
何でも学べる時期に
遊廓と言う檻に閉じ込められれば
苦界と呼びたくもなるでしょう。
年季についての異論
これに関しては以前触れました。
簡潔に言えば
江戸時代の住まいはエアコン無しの4畳一間
稼ぎはその日限りの銭がやっと
それに対して年季公奉は
衣食住が確約され
跡継ぎになり財産を得るチャンスがあること
メリットの方が遙かにあるとお伝えしました。
江戸の一般庶民の一生
さて今回は
遊女と一般庶民の一生をくらべてみようと思います。
遊女ばかり取り上げても公平性に欠けるのでその上で判断してください。
ちなみにここでの一般庶民は。
「江戸の長屋で生まれた普通の子供」にしましょう。
農家や武士の生まれだと
庶民より環境が豊かになるケースが多いですからね。
~7歳
「七歳までは神のうち」という言葉があります。
簡潔に言えば
「姿形は人間だけど、いつでもあの世(神様の元)へ帰れますよ」というところです。
子育てを経験された方はご存じでしょうが
赤ちゃんが生まれ
7歳になるまでにワクチンを嫌と言うほど打ち
免疫力を高めます。
それなのに幼児期は
少し室温が寒ければ
夜泣きに風邪と
本当に苦労しましたよね?
ワクチンを打ってもその程度なのです。
それがない時代
免疫力無しのノーガードで子育てなんて
想像を絶するでしょう。
なので7歳までは
健康に大きくなることが
最大の勤めでした。
7歳~
ある程度の免疫力も付き
晴れて「人間」として認められたころ
寺子屋で学びます。
教育に報酬を設けたのは福沢諭吉が初めてで
それまではボランティアで勉強できました。
それでも気持ちばかりの野菜や米などを納めていました。
10歳前後~
読み書きなど
基本的な学習を終えると
商人、職人さんの屋敷にお世話になります。
ここからは各お店に住み込み
使い走りや雑用をこなしながら
必要なスキルや礼儀作法を学びます。
ここでは給料は発生しません。
20歳前後~
一通りの作法を学び
いよいよ第一線で働きます。
給料は発生しますが
その店の中では一番下のランクで
「手代」と言い。
上の立場にいる
「番頭」や店の主人の指示に従う日々です。
30歳前後~
厳しい競争の末
「番頭」になります。
店のあらゆる業務が可能になり
文字通り店を任せられるようになります。
店の頂点に君臨し跡継ぎになれたり
暖簾分けをして自分の店を構えることができます。
しかしそれは一握りの人間で
大半は25歳前後で店を辞め
そのノウハウを活かし
自営業をするか
待遇の良い同業者の店に移ります。
なぜ25前後かと言うと
10歳前後で丁稚に入ってから
手代として給料を貰うまでの期間。
発生した衣服や食事などの経費を店側が負担していたので
その返済が終わるのがその時期でした。
あれ?
どこかで聞いたような説明ですね。
そうです
このシステムは遊女とまったく同じです。
その後
各々人生を送りますが。
その寿命は平均して40代になります。
死因については後日あらためて紹介します。
遊女と一般庶民の比較
~7歳
庶民 健やかに生きる
遊女 健やかに生きる
7歳
庶民 寺子屋
遊女 禿として住み込み作法を学ぶ
10歳
庶民 丁稚として住み込み作法を学ぶ
遊女 引き続き禿
15歳
庶民 引き続き丁稚
遊女 新造として先輩遊女に付き接客を学ぶ
17歳
庶民 引き続き丁稚
(早ければ手代デビュー)
遊女 遊女デビュー
20歳
庶民 手代
遊女 自身にあった格付けで働く
(早ければ太夫に就任)
25歳
庶民 手代
(もしくは年季明け)
遊女 引き続き遊女
(先輩遊女として新造の世話もする)
27歳
庶民 手代
(早ければ番頭)
遊女 年季明け
30歳
庶民 番頭
(もしくは余生)
遊女 余生
遊女と庶民の違い
どうでしょうか?
やっている事はほぼ変わらないです。
違いがあるとすれば
庶民よりも早く公奉に入った分
年季が伸びたと言うことでしょうか。
年季が嫌なら公奉に入らなくてもいいですよ?
ではどうやって食いつないで行くんですか?
公奉がない世界で生きる厳しさ
江戸時代での代表的な就業形態は
武家屋敷あるいは職人、商人の家へ公奉する
日雇い
自営業です。
日雇いは募集している所へ行けば良いし
自営業は長屋に「〇〇屋」と札を貼れば開業です。
簡単ですが毎日の仕事が確約されている訳ではありません。
さらに何かしらの理由で
とつぜん景気が悪くなったら
と言うのは
現代、この状況下で
身に染みている方もいらっしゃるのでは無いでしょうか?
現代はそれでも給付金や各保障制度があります。
それが無いんです。
ならば裕福な家という傘に入らせて貰い
それら苦難のリスクから身を守るのが当然でしょう。
まとめ
江戸時代に終身雇用制度なんてありません。
早かれ遅かれいつかは
1人で生きなければいけない時が来ます。
それならば
なるべく長く誰かの元でお世話になり
その期間を遅らせ。
さらに1人になっても良いように
そのノウハウをすべて習得しておくのが
賢い生き方だと言えます。
年季公奉はその理に適った
素晴らしいシステムであり
決して悪ではありません。
執筆後記
眺望と江戸は3日で飽きる。
とりあえず観光で数日過ごして
生きていける自信があるなら住みましょう。
タイムスリップができたら、の話ですよ?
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