「芸者」のルーツは「遊女」!?~前編 遊女とは~

2021年7月11日

もともと「遊女」は「芸者」だった

大人気漫画「鬼滅の刃」のおかげで
「遊廓」が世間的に注目を浴びました。

発信者の1人としてうれしい限りなのですが、
その一方で
「子供に遊廓について教えられない」と言った声も聞こえました。

そう言った声が挙がるのは間違ったことではありません。

すべては
「遊廓」「子供に教えられない場所」
というイメージを植え付けてしまった存在が悪いのです。

「遊廓と言う場所がどんな所か」というのは後日ご紹介するとして。
今日はそこで働く「遊女」という職業についてお話します。

後編はコチラ

遊女=コンパニオン

では遊女とは何か?と聞かれたら
思いつく言葉は「コンパニオン」です。

若い人も「?」と思えるほど死語になりつつある言葉ですね。

ですが星の数ほどある言葉の中でも
「コンパニオン」と言う表現が1番しっくりくるのです。

コンパニオンとは

日本では「接客係を務める職業」を指します。

もともと英語では「家族、連れ、付き添い」
と言う意味でした。

料亭、ホテルの宴会場に呼び
家族の一員の如くお客さまに接客する光景から
日本風にアレンジし浸透していった経緯があります。

現代の吉原の壁には良く
従業員募集のポスターが貼られているのですが。

「泡姫募集」「ソープ嬢募集」とは書かず
「コンパニオン募集」と記載されています。

風営法の関係もあるのでしょうが
「コンパニオン」と言う表現はさすがだなと思いました。

それだけ曖昧なのです
その事情を時間を追ってご紹介します。

平家の落人伝説

時は1185年
日本各地で行われた源氏と平氏による戦い
「治承・寿永の乱」
壇ノ浦にて決着。

源義経の元、鎌倉時代が始まりました。

一方、各地で敗れた平氏
源氏の追跡、捕縛(処刑)から逃れるために
人里離れた土地へと避難します。

ある人は土地を1から開拓し
ある人は知り合いを訪ね匿ってもらい
ある人は野盗に成り下がるなど

とにかく今日を生きるために
死にものぐるいで生活を送っていました。

現代、日本各地で
彼らを様々な方法で後世へ伝えています。
(民話、民謡、石碑)

これが俗に言う
「平家の落人伝説」です。

お座敷遊びの源流

とある港町に平氏の一家が逃げてきました。

幸い彼らの中に
源氏の追っ手らしき人物も
彼らと繋がっている者も見当たらず。

一先ず安住の地を見付けました。
ですが1つ試練がやってきます。

彼らはつい先日まで貴族でした。
それが一転して庶民に成り下がるのです。

それまで教養と遊戯しか知りません
つまり働く術が分からないのです。

男手なら漁師なり農家なり
力仕事をすれば良いのですが。

女性や子供はそうは行きません。

しかし重機の無い時代
大工も農業もできませんでした。

できることと言えば
貴族の間でやっていた遊戯や、優雅な舞い

これを知らない庶民には大人気。
仕事後の宴席では大反響。

たちまち人気になり。
すべてを失った後も生活ができました。

「女性が優雅な舞いを美しく披露する」
「貴族で親しまれた遊びを楽しむ」

これこそが現在まで続く
「お座敷遊び」の源流なのです。

秀吉の時代 遊廓の誕生

織田信長
「上京焼き討ち」
明智光秀
「本能寺の変」
などにより。

室町~安土桃山時代の京は戦火により
常に荒れ果てていました。

その復興を指揮したのは太閤豊臣秀吉です。
彼はとにかく老若男女に限らず
雇用を生み出すように勧めていました。

そこでとある
これまでお客様の元へ派遣していたスタイルを変え
逆にお客様に来て貰いましょうと申請します。

さらに
女性にはもれなくお座敷遊びや芸事を教え。
客も大衆向けにしましょうと付け足します。
のちに「見世」と呼ばれる
遊女の住居兼仕事場が生まれます。

秀吉もこれには賛成。
もともと宴会は好きでしたからね。
宴席で女性がもたらす効果には信頼があったはずです。

これが堅物大名なら即却下。
多くの女性は路頭に迷っていたでしょう。

後に誕生した柳原遊廓は大繁盛。
当時は通りの一角に見世を配置する形でした
なので周囲の店もその恩恵を受け
京都の中でも1番繁盛しました。

その後、火災や風紀上の理由などで
移転を繰り返したのですが。
移転した先々に人が集まると言った現象が起きました。

江戸時代初期 遊女=芸者

家康時代に関しては以前「こちら」でお話ししました。
基本は秀吉のやり方を継ぎます。

遊廓も同じです。
その代表例は
元吉原にある「京町」と言うエリア。

ここに住む遊女は元々京都にいた遊女です。
彼女たちが江戸へ移り
現地にいる女性に芸を広めたのです。

つまり元吉原で働く遊女は
京都の芸者さんと同じ接客をしていました。

まとめ

遊女という言葉は古代中国からありました。

意味合いとしては

「共に遊びに興じてくれる女性」
「遊び(お座敷遊び、芸事)に卓越、特化した女性」

と言う意味です。

決して
「遊びで稼いでいる女性」
「遊び呆けている女性」
ではありません

遊戯のプロと言う意味です。

執筆後記

後半へ続く

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吉原

Posted by 時雨宗晴